2014年10月13日月曜日

秋の夜長に独りごち



秋の夜。

寝る前にこんな曲を聴いています。



プーランク2台ピアノの為の協奏曲。この曲の事、かつてジェラール・グリゼイ先生がパリ音楽院の作曲のクラスで話してましたっけ。曲中に私の第三の故郷(笑)インドネシアはジャワのスレンドロ音階が使われているんですよね。で、久々に聴きたくなった、と(笑)。

プーランクって実は好きな作曲家。全く個性は違う筈なのに何となくプロコフィエフと共通するものを感じる時があります。どこが、なのかな? ピアニスト作曲家ならではの「和声的発想と旋律的発想のフュージョン度合い」なのか、、フレーズの短さ、なのか、、、??

そういえばフィリップ•アントルモンさんが、若い頃プーランクに会った時の話もしてくださったなぁ。
アントルモンさんの家には、親しくしていたバーンスタインさんがアントルモンさんの為に書いてくれた交響曲2番「不安の時代」のカデンツ部分の自筆譜はもちろんのこと、何故かドビュッシー自身による書き込みが入ったオペラ「ペレアスとメリザンド」の初版ピアノリダクションスコアまであるのですよね〜。「どうしてウチにこれがあるのかわからない」そうですが。
それにしても、、ドビュッシーの筆跡は何となくブーレーズのそれに似てるよなあ、と思うのは私だけかしら? 

今年80歳になられたアントルモンさん、他にもオーマンディやバーンスタインとの色んな思い出話をして下さいましたけど、、、生前れじとんがお世話になっていたアンリ•デュティユーさんに至っては、「ごくごく若い頃ストラヴィンスキーの「詩編交響曲」のフランス初演演奏会を聴きに行って終演後に楽屋を訪ねたら、そこでストラヴィンスキーとラヴェルが談笑してたんだよ。で、ラヴェルがそのときに詩編交響曲の感想をひと言も言わなかった事をストラヴィンスキーはいつまでも根に持ってたんだよ」、とかいう話をしてらしたっけ(ホンマかいな?)。。

亡くなる直前(102歳位だったか?!)のダリウス・ミヨー夫人のお宅にお伺いしたときは、ピカソやコクトーとの交流を昨日の事の様に話してらっしゃいましたねぇ。というか、「コクトーが描いてくれたのよ」とかいうデッサンやなんかが、その辺に無造作に置いてありましたし(笑)。

昔パリ管合唱団の稽古ピアニストをしていた時にお世話になったイギリス人合唱指揮者のアーサー・オールドハムさんは、ベンジャミン・ブリテンの直弟子。ブリテンの思い出話も彼から色々と伺いました。

そのブリテンが、ロストロポーヴィッチさんの仲介でショスタコーヴィッチと親交を深め、後にロストロポーヴィッチ夫人のガリーナ•ヴィシネフスカヤさんに献呈した「戦争レクイエム」。この作品をロストロポーヴィッチ夫妻のパリ宅での夫人による声楽レッスンで伴奏した、というのもよく考えたら凄い貴重な経験でした。。。

ちなみにその時、日本びいきのロストロポーヴィッチさんに「本人からプレゼントしてもらったんだよ。この違いがわかるかい?」「千代の富士」と「九重部屋」とネーム柄の入った浴衣コレクションを得意気に見せて頂きましたし(汗)。。

考えてみれば、偉大な方々とお会いする機会を沢山頂いている私は幸せ者ですね。この幸運に改めて感謝せずにはいられません。

何だか色々と思い出話書いてるうちに眠くなってきた。。。

ではでは、今日の戯れ言はこの辺にて。

おやすみなさい。





2014年10月6日月曜日

新しきものは。。。





れじとんの新作オペラ「Quai Ouest (西埠頭)」の初演、ストラスブールでの全公演は終了し、あとは隣町のミュルーズで1公演、来年1月から始まるドイツのニュルンベルグ歌劇場でのドイツ語版公演を待つばかりとなりました。

リハーサルの期間中、経過やエピソードなどをブログで報告しよう、と思っていたのですが、毎日へとへとに疲れてそんな事は到底無理でした(笑)。
自分の演奏会よりも、心配したり演出家と喧嘩したり神経質になってるれじとんにずっと付き添ってる方がよっぽど疲れるぢゃあないか!(笑)

脚本の原作者は、現代を代表する戯曲家ベルナール=マリー・コルテス。エイズのため40歳の若さで亡くなったこの天才戯曲家の、放送禁止用語だらけのダークな作品をどうやってオペラ化するのか?

コルテス作品の初オペラ化、しかも作曲はれじとん、ということで、、、
ここしばらく連日テレビやラジオ出演が続き、初日公演には欧米各国(日本人もいました、そういえば!)から55人もジャーナリストがやって来て、ストラスブール歌劇場の支配人が大慌てで対応していましたよ。。。

初日公演の数日前だったかに、フランスの大手新聞「リベラシオン」紙のまるまる1ページにでかでかとれじとんの記事が掲載されました。

挑発的な写真に「現代音楽界のバッドボーイ」という見出し。

れじとん本人はめっちゃ喜んでますけど、、これ見てカチン!と来てれじとんを叩くジャーナリスト、絶対いるやろなぁ〜、と、私は内心ドキドキしてましたですよ(苦笑)。

素晴らしい歌手や役者のみなさん、経験豊かで有能な指揮者さん、エネルギッシュな演出家さん、アイディア豊かな舞台装置&照明、、、色んな人の才能が結集して、公演は連日現代オペラの初演とは思えない程満員のお客さんに、大きな拍手を持って迎えられました!!
出演する歌手の皆さんそれぞれに特徴的な独唱の部分があって、各々の美声をたっぷり堪能できました。あと、レチタティーヴォ風に歌うテノールの若者に時々エレキギターが「合いの手」を入れるのが何とも笑えました(笑)。心奪われる場面は沢山ありましたが、特にオペラの終盤近くで歌われる女性3人によるトリオ歌唱が、ゾッとするほど美しかった!この場面から会場の空気がガラッと変わるんですよ。。。
その後、舞台上で本物の機関銃がバババ!とぶっ放され、観客は呆然。
火薬の匂い漂う中、「In God we trust, do we ?」という、コルテスが亡くなる直前にお兄さんに書いた手紙の最後の一文(1ドル札に書いてある言葉でもあります)を歌詞として舞台裏で歌われる無伴奏合唱でオペラは終幕。






ジャーナリスト達の批評は、というと、、、、

ものすごく両極端に分かれました!!!

「いまどき旋律のあるオペラだなんて、ダルムシュタット派が動揺するに違いない」
「いまどき旋律のあるオペラを書く事こそ斬新である」
「伝統的なオペラの形式に沿って書かれたもので、現代オペラらしくない」
「伝統的なオペラの形式に沿いながらも新しい視点で書かれたオペラである」
「コルテスのダークで絶望感溢れる世界と音楽が一致しない」
「コルテスの世界に音楽で対応するには、これが最もベストな作曲方法である」
「オペラの冒頭がジョン・アダムスにそっくりである」
「オペラの冒頭がヴェルディの「オテロ」にそっくりである」
「オペラの冒頭がワーグナーの「ラインの黄金」を彷彿とさせる」

よくもまあ、こんなに色んな意見が出て来るもんや!と感心しちゃいましたよ(笑)。

反対の事言っているジャーナリスト同士が、お互いにけなし合ってたりもして(苦笑)、、、れじとん本人とは関係のない所で、結構話題の種を提供してるようですね(笑)。

当のれじとんは、というと、、、

公演を何度か観て聴いて色々思う所あったらしく、最終公演が終わってないにもかかわらず、すでに「改訂版」を作曲中(笑)。






私の率直な意見を言わせてもらうと、、、

「オペラ」というのは、作曲家なら誰でも書けるとは思いません。優れた器楽曲や電子音楽作品を作る作曲家が優れたオペラを書けるか、というと、そういう訳でもない。
例えば、、モーツァルト。彼は典型的な「オペラ作家」だと私は認識しています。
ところが、ベートーヴェンやハイドンは私にとっては「オペラ作家」ではない。

これはもう、能力とか才能以前に「適性」の問題だと思うのですが。。。

れじとんは、はっきり言って「オペラ作家」だと思います。今回それを確信しました!

初めて書いた「グランドオペラ」。色々と不完全な部分はあったにせよ、これだけ「オペラ作家」としての資質を備えた作曲家には、今後もどんどん作品発表の機会を与えるべきでしょう。 自分の旦那だから、という以前に、歌劇場で仕事する事の多いオペラ好きの1人として素直にそう感じた次第です。

それにしても、今回のれじとんのオペラの中には、映画制作の技術が沢山応用されていたように見受けられました。れじとんは自他ともに認める大映画オタクですから(笑)、例えばイギリス人映画監督のピーター・グリーナウェイ氏のように、映画監督&メディアアーティストの視点からオペラの演出を手がけるような人と組んで作品を作れば、何か突拍子も無いアイディアが生まれだすのではないか、と、ふと思いました。

あ、そうそう、、、
れじとんの公演を観に&れじとんに会いに、わざわざアムステルダムから泊まりがけで来て下さったチェリスト氏と、終演後ビールを飲みながら楽しく語らいました。
れじとんは、彼の為に協奏曲を書く事にどうやらなりそうです。
素敵な出会いに感謝!

彼は来年横浜でも演奏会をされるそうですよ。ご興味のある方は是非!
YouTube映像を貼付けておきますね。