秋の夜。
寝る前にこんな曲を聴いています。
プーランク2台ピアノの為の協奏曲。この曲の事、かつてジェラール・グリゼイ先生がパリ音楽院の作曲のクラスで話してましたっけ。曲中に私の第三の故郷(笑)インドネシアはジャワのスレンドロ音階が使われているんですよね。で、久々に聴きたくなった、と(笑)。
プーランクって実は好きな作曲家。全く個性は違う筈なのに何となくプロコフィエフと共通するものを感じる時があります。どこが、なのかな? ピアニスト作曲家ならではの「和声的発想と旋律的発想のフュージョン度合い」なのか、、フレーズの短さ、なのか、、、??
そういえばフィリップ•アントルモンさんが、若い頃プーランクに会った時の話もしてくださったなぁ。
アントルモンさんの家には、親しくしていたバーンスタインさんがアントルモンさんの為に書いてくれた交響曲2番「不安の時代」のカデンツ部分の自筆譜はもちろんのこと、何故かドビュッシー自身による書き込みが入ったオペラ「ペレアスとメリザンド」の初版ピアノリダクションスコアまであるのですよね〜。「どうしてウチにこれがあるのかわからない」そうですが。
それにしても、、ドビュッシーの筆跡は何となくブーレーズのそれに似てるよなあ、と思うのは私だけかしら?
今年80歳になられたアントルモンさん、他にもオーマンディやバーンスタインとの色んな思い出話をして下さいましたけど、、、生前れじとんがお世話になっていたアンリ•デュティユーさんに至っては、「ごくごく若い頃ストラヴィンスキーの「詩編交響曲」のフランス初演演奏会を聴きに行って終演後に楽屋を訪ねたら、そこでストラヴィンスキーとラヴェルが談笑してたんだよ。で、ラヴェルがそのときに詩編交響曲の感想をひと言も言わなかった事をストラヴィンスキーはいつまでも根に持ってたんだよ」、とかいう話をしてらしたっけ(ホンマかいな?)。。
亡くなる直前(102歳位だったか?!)のダリウス・ミヨー夫人のお宅にお伺いしたときは、ピカソやコクトーとの交流を昨日の事の様に話してらっしゃいましたねぇ。というか、「コクトーが描いてくれたのよ」とかいうデッサンやなんかが、その辺に無造作に置いてありましたし(笑)。
昔パリ管合唱団の稽古ピアニストをしていた時にお世話になったイギリス人合唱指揮者のアーサー・オールドハムさんは、ベンジャミン・ブリテンの直弟子。ブリテンの思い出話も彼から色々と伺いました。
そのブリテンが、ロストロポーヴィッチさんの仲介でショスタコーヴィッチと親交を深め、後にロストロポーヴィッチ夫人のガリーナ•ヴィシネフスカヤさんに献呈した「戦争レクイエム」。この作品をロストロポーヴィッチ夫妻のパリ宅での夫人による声楽レッスンで伴奏した、というのもよく考えたら凄い貴重な経験でした。。。
ちなみにその時、日本びいきのロストロポーヴィッチさんに「本人からプレゼントしてもらったんだよ。この違いがわかるかい?」「千代の富士」と「九重部屋」とネーム柄の入った浴衣コレクションを得意気に見せて頂きましたし(汗)。。
考えてみれば、偉大な方々とお会いする機会を沢山頂いている私は幸せ者ですね。この幸運に改めて感謝せずにはいられません。
何だか色々と思い出話書いてるうちに眠くなってきた。。。
ではでは、今日の戯れ言はこの辺にて。
おやすみなさい。